こんな時代だから理由なんか後からつけていこうという話

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僕は現在インドの30人規模のスタートアップで海外インターンをしています。場所はバンガロール、事業内容はECです。

 

 

最近オフィスも移って結構綺麗になりました。

 

 

字面で見ると、

「お、、、おう、頑張れ」

くらいのものだと思うのですが、

最近考え直してみると案外点と点が繋がるような感覚になってきたので

今日はここに書いておきたいなと思います。

 

逃げとしての休学という選択

ある私立文系の大学生活

有名な話ですが、よく海外に来てると、

「What is your major?? ( なにが専攻なの??なにを勉強しているの?? )」

という質問をよくされます。

 

自分の強みや研究テーマが明確にある人ならまだしも、僕みたいな人は何て言ったらいいか本当にわからない。

 

もう最近は面倒だから

「My major is Business!! ( ビジネスだぜ!!)」

っていうけど、そんな学部はうちの大学にはありません。笑

 

この感覚が一般的かわからないけれど、すごくよくある例であることは周りの友人と話していてもわかります。

大学なんて、行くでしょ、よほどのことがなければ。

学ぶことなんてあんまり考えないでしょ、そこで。(これは偏ってる自覚はあります)

サークル誘われたらとりあえず行くでしょ、ノリで。

お金に困ってバイトするでしょ、居酒屋で。

それ続けて、気付いたら就活でしょ、突如。(僕は続きませんでした。)

 

ゆとり教育だったりとか、時代でカテゴライズすることについて賛否はあるけれど、僕は概ね同意できます。環境=人間だと思っているし、ましてや教育なんてのはダイレクトに人格形成に関わると思うからです。

くくって考えんじゃねーよ!!俺はゆとってねえぜ!!

っていう尖った人たちもっていう層もそれなりにいると思いますが 、それは環境の中でもある程度自分の処世術を発揮出来る人たちであって、僕は大衆側だと思っています。

 

この”当たり前”を受け入れながらなんとなく大学3年生になって、本を読んだり、夏に就活をしてみて社会人(主に人事)と会う中で色々と思うことがありました。

 

正解を求めがちな僕たち、提示できない社会

詰め込み学習を体に植え付けられて、いい点をとることに夢中だった僕には気付くよしもなかったけど、世の中は(とくに成熟期を迎えた日本では)

答えのない問題が9割越え

と言われます。

 

それにもかかわらず 、僕たちは正解を求めるだけの教育を受けました。

ずっと公立で、高校生までそんなに真面目に勉強をしてきたわけではないけれど

高学歴=正義

という価値観のもとに、あれよあれよと大学まで入らせて、400万払いました。

そのあと就職活動をすることになって、今まで褒められ続けたゆとりくんは面食らうことになります。

「え、なに、0→1できないの?はい無能ね。」

って言われる無理ゲーっぷり。

「いやいやいやいや!! 1→100正義だったじゃないですか!!」

っていうのが世の中でめっちゃ起きてます。

世の中無理ゲー。コンボイの謎くらい無理。嘘、コンボイの謎の方が無理。

 

それでも歓心を買うように、僕たちを認めてくれる企業、人事の方はたくさんいます。

「可能性採用」という言葉を用いて、

・現状僕たちにやってもらわなければならないこと と、

・僕たちができること 

のギャップを埋めるしかないのです。

 

”正当な方法”なんてものに重きを置いていたら一生本質は見えてこないし、非常に良くできた一括採用のマーケティングに魅了され続けるんだろうなあ、と思うようになりました。何がいいのか心底わからなかった。

それを今まで教育を受けてきた通り甘受して生きていくこともできます。

しかし、大人は責任取ってくれません。自分で責任とるしかないんです。

 

どうなるかわからないけど、もう逃げ切ることはできない時代だと僕は思います。

 

というか、どの時代もそれは変わらないと思っています。

 

SonyJALも、超人気企業だった

「20年前だったら、迷わず大手一択だったのにな・・・」

普通の学生は、こう思うんじゃないかなって思います。僕ももしその時代であればそうしていたと確信します。

ただ、もし当時その選択をしていたとしても、例えば超人気企業だったSonyJALも、現状はあまり芳しくありません。

 

正解なんて、もともとないんです。

 

ITと英語、という新しい正解は信頼できるか?

今また一つの正解として提示されている IT、英語というスキルがあります。

 

日本の市場の縮小 と 海外人材の流入 もしくは 仕事のアウトソーシング

なんかによって、企業も学生も国内だけを見ている場合ではなくなってきています。

そんな中で国境をまたぐことができる IT 、英語が正解とされるのは当然でしょう。

僕は完全に例にならって ”海外”で ”プログラミング”しています。笑

恥ずかしいくらいに単純。単細胞。

 

この一種の正解には当然ですが期限があります。

昔は超熱かったであろうそろばんというスキルは、今では需要は当然ありません。

あれだけ取得が難しい弁護士や、公認会計士の仕事も、今は減ってきてしまっています。

 

僕がインド人から学んでいること

この時代を生き抜くために

この期限を見極めながら、フットワークを軽くして、今の中での最高の選択を繰り返しながら生きながらえるしかない。

これが僕が思うこれからの時代の生き方だと思います。尻軽最強ってことです。

 

そこで インド です。

将来を憂慮しすぎている日本人と違って、彼らは

「やってみなきゃわからんし、やってみて何も得ないなんてことはない」

というマインドが強くあります。

 

僕とペアになっているエンジニアの男性は、来年日系、US、中国の企業を受けるために日本語と中国語を勉強しています。

本当に何を言っているかわからない。誰か止めてあげて。

 

僕は彼に一つに絞って武器を磨くべきという提案をしました。

その時彼は

「... (本当にどこに可能性があるかわからないから、取り得る選択肢は減らしたくない。)」

というで答えてくれました。(わりと無口なだけ。きっとそう。)

 

それでも、彼から学ぶことはすごく多いと思います。このような姿勢こそ、これからの僕たちに必要なんじゃないかと。

周りのインド人と話していても、やるだけやったら無理ならいいやマインドが備わっているように感じます。

 

これが僕がインドで働いているたった一つの(言いたいだけ)理由です。

 

でも楽したいよね。面倒だよね。

とりあえず社会に出る、という便利ワード 

とりあえず社会に出る。

という便利な言葉が身近にはありました。

もちろん意義は大きくあると思うし、正解なんてないんだからまずは働く、っていうのは確かに悪いことではないのかもしれない。

僕が就職活動をしているときに、問題意識はあっても、結局は諦める、といった人が多いように思います。僕もそうしかけていました。

 

諦める、というのは今持っている武器で戦う、という意味合いですが、

大学に入って酒飲んでふらふらになった状態で短刀片手に戦場に繰り出し、

馬に乗った人事がやれこっちだそっちだと偉そうに人を扇動していた。

というのが僕の就職活動を通しての感想でした。ちょっと左翼的に表現するとですが。。。笑

特別就活が辛かったとかではなかったですが、どうしても腹落ちしない部分をずっと抱えていたように思います。

 

普通だからこそやるべきこと

僕は、間に合わないなんてことはないと思っています。

僕は人と話すのがそんなに好きではないし、私立文系の受験だけを頑張ってきた人間だし、英語なんて貴族の遊びだと思っていたし、サークルの1つにも続けられなかった、ダメな大学生でした。

海外に出て、もがくうちに何か世の中に価値が出せたら、それは大学生の大きなお手本になりうると思って日本を出ました。

 

自分は自分のために海外に来たのだと思っていたけれど、

ご飯は日本よりはおいしくないし、大好きな娯楽(麻雀)もないし、女の子と遊べないし、そもそも外人と話すのがそんなにすきじゃないし

 

そんな僕がなぜここにきたのかなあって考えると、

自分より優秀な人たちにぜひきてほしいからなんじゃないか、って思います。

 

僕と違って、絶対うまくやれる。でも、確実にキャリアを踏める環境にないから、いまさらリスクは取れない。

そんな感じの人たちに訴えかけたいなーなんて。

  

まああとあれだね。本音を言えば休みたかったっていうのがあるけどね。

世の中には本音と建前っていうのがあるんだそうで。

 

おわり