野原ひろしは、もう幸せの正解ではない。
めっちゃかっこいいんですけどね。
先日、「何者」を読みました。
この記事内でも言及したように、「観察者になると、負の鎖で縛られていくだけなんやで」ということに気づけた少年でした。
そしてさらに「痛い」っていうのは幸せになるためには必要なことになっていくんじゃないかな、と思いました。
「幸せの形」の多様化
野原ひろしはもう正解とは言えない。
35歳結婚10年目、子供は2人。年収600万円の係長。マイホーム持ちローンはあと30年。愛車はセダン。
こんな生活に、なんとなく幻想を抱かなくなってきているのが僕らの世代でしょう。
野原ひろしは、一世代前の幻想をそのまま形にしたような夫だと思います。
それを刺し抜いても野原ひろしは圧倒的にかっこいいけどな。みんな彼のコトを誤解してないかい??
野原ひろしが実はすごい父親!年収600万の商社マンで家族思い【クレヨンしんちゃん】
それでも、その一種の強大な幸せの形を担保していた、終身雇用、年功序列は崩れつつあります。
http:// http://diamond.jp/articles/-/104638
これは今朝の記事ですが、それは当然のこと。逆に30〜35歳転職限界説もまた崩れつつあります。10〜15年働いた人が、無能って土台おかしな話ですもんね。
本来の自然な形になっているだけだろうけど、やっぱりどこかで皆、「大企業ならなんとかなるでしょ。日本なら大丈夫でしょう。」と思っていることは、就活を通してもすごく感じます。 それが正しい、正しくないは置いておいて、それが社会の一般論なのは確かでしょう。
どこかで不安な人々も、なんだかんだ大丈夫だと思っている。というか、そうであるように願っている。
「痛いやつ」を「痛い」と思うのはここから来ていると僕は思います。 先に行かれるのが、怖いんですよ。待ってくれと。そんな独自の正解(幸せの形)を見つけられたら俺はどうすればいいんだってことになるわけです。
でもこれからは絶対にステレオタイプの幸せが、幸せであるっていう考え方は通用しなくなる。
市場化することによって、従来の幸せは幻想に
例えば上記の例。結婚して家庭に入り、子供を育て家のローンを返すことに尽力する。 美しい父親像として映っていたこのペルソナは、現代ではあくまで一つの道でしかなくなってきています。
かつて、見合いによる結婚が主流だった頃には、相当嫌でなければ結婚する、まあいいかと思って結婚する、ということが一般的でした。
男「まあこいつブスではないし、いやかわいくはねーし、前会ったこの方がいいっちゃいいけど、うん。俺なんかにチャンスないだろうし、うん。なんか素直そうだし、うん。」
女「まあこいつブスだけど、真面目に働いてるっぽいしな。いや実際これ逃したら次いつになるかわからんし。なんか親楽しそうだし、うん。おっけー。」
こんな感じでしょう。いや本当に。実際お見合い結婚ではハードルの低さから離婚率が非常に低いらしいです。
それに対して現代は恋愛結婚が主流です。それはなぜかといえば、選択肢が増えてしまったからに他なりません。 例えば合コンという形であった男女も
男「うんまあかわいい。けど最近Twitterで知り合ったOLの方がいいな。てかまあチャンスならいくらでもあるしな。Tinderしょ。。。」
女「はい〜でました〜ニッコマ!MARCH以上じゃないと絶対無理。次々!」
っていうことになるわけですよ。 これは未婚時の話ですが、既婚しても話は同じです。
様々なものが市場化して、選択肢が増えてしまうと、当然多様化された正解の中で自分がひとつに決めていくしかないわけです。 その意味で、従来のようなひとつの正解にしがみつく行為は、負の鎖で自分を縛ることになります。
現代における幸せの見つけかた
自分の欲望に従って、幸せを見つけるためには、普段から積極的に「痛く」、変なやつであろうとする必要があると思います。 最近はやりのミニマリストしかり、心も体も身軽に、純粋に幸せを追い求めるべきなのでしょう。
それゆえに、「痛い」なんていう小さな次元のことを気にしている人間に、本当の幸せはこないんじゃないかと思うわけです。
おわり